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小説版ミッサーシュミット

文章を書くのが大好きなミッサーシュミットの小説の数々♡

どうぞあの世で しあわせに!①

 肺を患い、長い間、病床にいるせいで、日にちの感覚はとうに失せていた。カレンダーを見るのは、健康な人間に任せてあった。

 窓の外を眺めると、同じ夏でも、七月なら七月だけが、八月なら八月だけが持つ特別な色彩を、ちゃんと見分けることが出来る。これに関してだけは本当に、病気になって得をしたと思う。

 十月だというのに、真夏のように暑い日の夕方。小さな庭に面した、自宅の部屋のベッドの上で、信じられないくらい、たくさんの血を吐いた。

枕元で、夫と、十一歳になる息子が、私を見守っていた。苦しみの中、必死の思いで、枕に押し付けていた顔を上げ、二人に向き合った。顔中の筋肉がひどく引き攣れて、笑うことは出来なかった。

 赤い血と一緒に喉の奥から、さようなら、という言葉を吐き出した。だがきっと、二人には聞き取れなかったのだろう。息子は恐怖に目を見開いて、瞬きももせずに、じっと私を見詰めていた。夫は、痛みに耐えるような顔をしていた。頭の中ではきっと、明日の私の葬式のことを考えているに違いないと思った。

 

  ふと気が付くと、私は法廷の、被告人が立たされる席に、一人で居た。息子が好きだったテレビドラマに、毎週出て来た裁判所の法廷に、とてもよく似ていた。

 いつの間にか目の前の、裁判官の席の二段目、ちょうど、立っている私の正面に、男が座っていた。年齢不詳の不思議な顔立ちで、白人のようにも、東洋人のようにも見えた。

 重々しくはないが、恐らく公式の場に出る時に着ると思われる、白い布をたくさん使った衣装を、男は身に付けていた。一目見ただけで、瞼の裏に焼き付くような迫力がある。

「静粛にね」

 ぼんやりしていた私は、突然男に声を掛けられ、驚いてしまった。思わず口を開きかけたのを、目を細めてやんわり牽制しながら、彼は、口元をわずかに綻ばせる。髪の色は灰色に近いのに、声はとても若々しかった。

 随分砕けた口調だな、と思った次の瞬間、彼の両隣にそれぞれ一人ずつ、やはり同じような格好をした男達が現れた。彼らは、双子のようによく似ていた。

 窓も電灯も無い法廷は、部屋中の壁や床が自ら淡い光を発して、とても明るかった。裁判官達が着ている白い服も、定期的に、まるでオーロラのように、キラキラと輝いた。二つの光が混ざり合うのを見ると、現実には音などするはずもないのに、たくさんの宝石が、バラバラと床に落ちるような音が、耳の中に小さく響くのを感じた。

 眩し過ぎるということは、決してない。ただ時々、裁判官達の顔が光を受けて白くなり、よく見えなくなることがあった。

 三人の男達の他は、もう誰も出てこなかった。弁護人や検事、証人も傍聴人もいないのだとしたら、これは、一体何なのだろう。

 全てが他人事のように思え、上の空で、ぼんやり突っ立っていた。その気配を素早く感じ取ったのか、一番右の座っていた男が、すっと立ち上がる。かなりの長身だった。向かい合って立ち話をすれば、首が痛くなってしまうだろう。

「カミラ」

 彼が私の名前を呼んだ。誰かに呼ばれるのは、本当に久し振りだという気がした。

「まだ、ぼうっとしてるみたいですね」

 長身の男は苦笑いした。私は恥ずかしくなって、顔を赤くする。

「まあ、無理もないだろう」

 真ん中の男が取りなすように言うのを聞いて、長身の男は、ゆっくり頷いた。私は視線を、真ん中の男に当てた。知らない間に、奥歯を強く噛んでいたが、顎の力を緩めることはせず、更に力を込めた。

「カミラ。あなたは亡くなったのです。今から、十八年前に」

 長身の男の声は、少し上ずっていた。光が邪魔をして、顔は見えなかった。

 私は、黙って頷いた。死んだことは分かっていたが、十八年も経っていたとは思わなかった。溜まった唾を飲み込むと、喉に滲みて少し痛んだ。

 

<続き>

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