どうぞあの世で しあわせに!④
神よ。
私は多くの罪を犯しました。
人を騙し、人のものを盗み、人の心を利用し、陥れたこともあります。
酒に溺れ、薬に溺れ、何のために生きているかも分からずに、虚しいだけの日々が、ひたすら早く過ぎてゆくことだけを願って生きていました。
苦しい現実から、何とか逃れようともがき続けた挙句、自ら命を絶とうとし、また反対に、他人の命を絶とうとしたこともあります。
ですが、死を恐れるあまり、結局は死ぬことも、殺すこともしませんでした。
自分には何も無いのに、他人はあらゆるものを持っていると、身の周りの全てを呪いました。
自分を少しも愛せなくなった時、夫に出会いました。
神よ、お許し下さい。
あの時の私には、彼こそが、神の存在そのものでした。
犯した罪も愚かな考えも、彼は、全て受け入れてくれました。
私の罪の苦しみを、共に分かち合ってくれました。
私が彼を信じなくても、彼の誠実さに応えなくても、決して途中で諦めることはありませんでした。
私が愛を受け入れるのを、初めから知っていたかのように、彼は、本当に長い間、変わらぬ愛情を注ぎ続けてくれました
家庭の幸せに恵まれなかった私に、息子という、男女の愛とは違う、もう一つの形の愛をも与えてくれました。
残して来た夫と息子が、十八年経った今も尚、元気で生きているとしたら。
どうか、彼らの残りの人生が、例え、迷いは多くとも、実り豊かなものとなるように、あなたの御力を、貸してあげて欲しいのです。
私は、夫によって愛を知りました。
彼を愛することで、あなたの存在を信じることが出来ました。
短い年月でしたが、とても幸せでした。
例えこれから、永遠に地獄さまよい続けるとしても、決して色褪せることのない、素晴らしい日々でした。
神よ、あなたに感謝致します
痛みや苦しみや寂しさは、愛する喜びを知るために、その意味を間違えることのないように、あなたが用意してくれた、大切なものだったのですね。
私を世に送りだし、試練と愛と、素晴らしい人生をお与え下さって、本当にありがとうございました。
悔いは、ありません。
私は、幸せ者でした。
不思議なことに、懺悔は途中から、感謝に変わった。恐ろしさが去りはしないが、心の中は、無気味なほどに穏やかだった。生前は確かにあった死への恐怖が、今は失せているせいかもしれない。
深く息を吐き出し、真直ぐ顔を上げると、男と目が合った。思わず身を竦めると、彼は、優しい声で言った。
「お祈りは、済んだ?」
「はい」
祈りではなく懺悔だと、彼はきっと、知っているだろう。
「覚悟はいい?」
声も口調も変えず、彼は表情を、少し固くした。私は、黙って俯くことしか出来なかった。
<続き>