小説版ミッサーシュミット

文章を書くのが大好きなミッサーシュミットの小説の数々♡

どうぞあの世で しあわせに!⑤

「罪状を見るに……何で誰からも殺されずに済んだのか、不思議に思うくらいだね。あんた自身の悪運の強さもあるけどさ、これは、周りの人のお蔭だね。些細なことから命に関わるようなことまで、内容は色々だけど、あんたの罪を隠し通して、警察やらマフィアやらの手に渡らないように庇ってくれた人間が、十二人いるよ。あんたが他人にやってきたこと考えたら上出来な数だね。幸せに死ねたのはさ、その十二人のお蔭だね。感謝、しなよ」

 男は饒舌に語り、右目で、軽くウインクをした。私は愕然として、何て場違いな仕草だろう、と思いながら見ていた。

 一体、誰が? 

 夫が、その中の一人である可能性は高い。あとの十一人は、見当も付かない。頭と目と、耳の奥が痛くなった。男の声を聞き取るのが、少し辛いくらいだった。

「今から、生前受けるべきだった刑罰を、受けて貰うことになる。だいぶ甘い気もするけど、下された判決は、禁固六十年。監獄の中で、ひたすら六十年だ。でも模範囚になれば、もうちょっと早く出られる。辛くても、頑張るんだよ。ちゃんと聞こえてる?」

 はにかむような表情をして、男は私を見詰めた。私は声を出さずに、肩を震わせて泣いていた。

 あの地獄のような生活の中で、夫に出会う前の私を、ほんの少しでも、大切に思ってくれた人がいた。そのおかげで、幸せに最期を迎えられた。今の今まで、それに気付けなかった自分が、とても情けなかった。

「六十年は長いよ」

 からかうような軽い口調だが、男の言葉に容赦は無かった。でも、それで当然なのだと思った。

 監獄に入る前に、体を、生きている頃と全く同じ状態に戻された。肺を病む前の、酒とも薬とも縁が切れていた頃の体にしてくれたのは有り難かったが、それほど意味は無かった。

 体とは、これほど窮屈なものだっただろうか。

私は愕然とした。六十年という長い年月を思うと、絶望的な気分になる。肉体から解放された状態を一度味わってしまうと、体という入れ物を、一筋縄ではいかない、強固な枷であると感じずにはいられなかった。

 したいことを頭に思い浮かべると、役割を果たすそれぞれの器官に脳が命令して、初めて行動に移せる。何の不自由も感じていなかったはずの、その一連の流れが、とてつもなくもどかしい。食事や排泄をしなければ生きられない。死ぬ前の、約2倍の年月を、このまま過ごすのだと考えると、歯痒さのあまり、気が狂ってしまいそうで、それが一番怖かった。

 手足を切り離された後、性能が悪い上にサイズの合わない技手や義足を、無理矢理嵌められているような気分だった。皮膚にも骨にも内臓にも、借り物のような違和感がある。呼吸さえも、必死の思いで繰り返さなければならない。その癖、視角や聴覚といった五感は、生前以上に鋭敏になっていた。

  夢の中でも、肉体との闘いに明け暮れた。叫び声を上げて目を覚ます日々が、長く続いた。もう殺して欲しい。そう願わない日は無かった。

 神に祈る気持ちは起きなかった。その代わり、何かあるごとに、判決の時に男から聞いた言葉を思い出し、必死で耐えた。

 どのくらい経った頃か、眠る前に、花の香りをかすかに感じた夜があった。甘く、そして、どことなく冷たさを秘めた香りだった。急に、夫や息子のことを思い出した。少しだけ涙を流して、そっと目を閉じた。胸が悪くなるような、竜巻き状のうねりを持つ強い重力で、深い闇の中に引き寄せられるのを感じた。そして、全てを諦めた投げ遺りな気持ちのまま、瞬く間に眠りに落ちた。

 

<続き>

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