小説版ミッサーシュミット

文章を書くのが大好きなミッサーシュミットの小説の数々♡

どうぞあの世で しあわせに!⑥

 或る朝、監獄の扉の外から、法廷で会った男の声が聞こえた。普段は意識したことのない小さな隙間から、彼の衣服の発する光が入って来た。それはまるで、窓から降り注ぐ春の日差しのように柔らかかった。

 気の遠くなるような時間を過ごしたようにも思えるが、もしかしたらまだ、刑期の十分の一も終えていないのかも知れない。例えそうでも、誰かと話が出来ると思うと、嬉しくて仕方がなかった。

 頑丈な鉄製の扉の前まで歩いて行き、男に話し掛けようとした瞬間。私はまた、あの法廷に立っていた。ゾッとして、急いで辺りを見回したが、監獄の片鱗を伺わせるものは、全て消え失せていた。

 淡い光に彩られた法廷は、静寂と、清潔感に満ち溢れていた。

 気配を感じて目線を正面にやると、あの男が、いつの間にか、定位置に座っていた。

「何だ、元気が無いな」

 あまりにも軽い調子で言うので、苦笑しながら答えた。

「ええ、疲れ気味なんです」

 久々に出した割に、声の通りは良かった。

「何の楽しみもないまま、五十五年もぶっ通しじゃ、辛かっただろう? お疲れ様」

「え? 刑期は、終了したんですか?」 

 沸き上がる生唾を、苦労して何度も飲み下した。

「刑期は終わったよ。特に問題も起こさなかったから、五年分はおまけ。本当に長い間、お疲れ様でした!」

 いつの間にか、体の窮屈さが消えていた。慢性化していた頭痛や目眩を、久しぶりに感じていないことに気付いた。

 喜びと、安堵と、そして、あまりにも大きな解放感があった。今にも喉から迸り出そうな獣じみた叫び声を、理性で必死に抑え込み、男の労いの言葉に対するお礼を、丁寧に述べた。

「じゃあ、最後の仕上げ。すぐ行くから、待ってて」

 男は立ち上がり、瞬きをするよりも早く、目の前に来た。驚く私を尻目に、白く光る天井を仰ぎ見た。何千、何万という光の宝石が、滝のように、男と私の間に降り注ぐ。一つ一つの配置が最初から決められているのか、一つ一つが、規則正しく、重なりながら舞い降りた。

 宝石の滝は、あっと言う間に、男の身長の倍はありそうな、よく磨き込まれた大きな鏡に姿を変えた。

 呆然と鏡に見入っている私に、男が穏やかに言った。

「この鏡を、じっと見ててね」

 男の言う通りに、鏡を見詰めていた。そこには、黒い喪服に身を包んだ、私の姿が写っていた。その喪服は、母のものだった。私が死んだ時、既に手元には無かったし、サイズも違うので、体に合うはずがない。何故自分が、これを着ているのか分からなかった。ただ、喪服を着た死人というのは、何だか皮肉めいているな、と思った。

 元々細身だったが、今は更に肉が落ちて、骨と皮だけになっているので、肩と腰の生地が余り過ぎている。血管の浮いた首や両方の手は年齢を感じさせ、指先などは、まるで鶏がらのようだった。皮膚は水分を失い、浅黒くなっていた。すっかり白くなってしまった髪に触れると、まるで釣り糸のように。ごわごわしていた。

 多くの人に讃美され、最低の暮らしに身を落としても尚、存分に人を惹き付けていた、美貌と呼ぶに相応しい輝きを保ち続けていた私の顔は、今や、小さい頃に絵本で見た、死に神そのものに変わり果てていた。

 

<続き>

misserschmitt2323.hatenablog.com