小説版ミッサーシュミット

文章を書くのが大好きなミッサーシュミットの小説の数々♡

休日と犬の睡眠薬①

 桜もすっかり散り終わった四月の週末の午後、彼と会う約束をしていた。雨が降るから、映画の約束は変更。傘を差して、濡れながら街を歩くのが、大嫌いなのだ。

 玄関のドアを出ると、さよならを告げたはずの冬の寒さが、遠慮がちな春の陽気と共に感じられた。慌てて部屋の中に戻り、ベージュ色のコートを着て、再び玄関を出た。

 ジーンズを履いた足を大きく広げ、待ち合わせの喫茶店に向かう。雨は小降りになっているし、喫茶店には、早足なら五分で着くから、デパートで一目惚れして買った、淡い朱色の綺麗な傘は差さなかった。

 古い木の扉の、金メッキの禿がれかけた取っ手を強く引くと、上部に付けられたベルが、軽やかな音を立てた。うっとりするようなコーヒーの香りが鼻をくすぐった。古株のウェイトレスが、親し気な笑顔を見せてくれる。店の雰囲気と不釣り合いな、派手な顔立ちの彼女に、待ち合わせであることを告げ、辺りを見回す。彼は嬉しそうな顔で、こちらを見ていた。

 目線を合わせて、にっこり微笑むと、彼は軽く手を上げた。ウェイトレスに、ホットココアを注文し、彼の待つテーブルに向かう。目の前に来た私を見る彼の目は、きらきらと輝いていた。

 頑丈な木のテーブル上に、アメリカンコーヒーの入った厚手のカップがあった。彼はコーヒーをブラックで飲むのが好きだが、濃いのは苦手だ。コーヒーが冷めるのを気にも掛けず、夢中でお喋りをする彼。話し始めて十分ほど経って、ココアが運ばれて来た。

 この店のココアは、私の大好物だ。コーヒーよりも百円高いが、かなり大きめのカップに、たっぷり入れてくれるので気にならない。生クリームが浮かんだ、良い香りのするココア。早速カップに口を付け、火傷しないように慎重に啜る。ゆっくり喉に流し込むと、ホッとして体の力が抜けていった。冷たい雨の日は格別美味しい。もう少し冷めるまで待とうと思い、カップをテーブルに置くと、口を付けた場所に、赤いグロスが綺麗に移っていた。

  会えなかった五日間、どうやって過ごしていたかを報告し合った後、二人とも口を閉じた。会話中に沈黙が舞い降りるのに、耐えられない、なんて、私達にはない。言葉を発しないことは、何も語らないということではないのだ。目線や表情、手ぶりや身ぶりで、伝え合える。無言のまま時間が経つにつれ、彼の心が喜びで満たされていくのを感じ取ることが出来た。

  三時過ぎに雨が激しくなると、店内に客が増え始めた。誰かがドアを開く度に、外の冷たい空気が流れ込む。空が暗くなったせいで、天井の蛍光灯が眩しくなったような気がした。  

 ココアを飲み干した後、私は大きく息を吐き、両手で包み込んでいたマグカップを、そっと覗き込んだ。底に、生クリームの小さな塊が残っていた。ココアの色に染まらず、白いままのところもあって、何だか胸が切なくなった。

 私は幸せ者だと思う。こんなに手軽に、満足感を手に入れることが出来るのだから。可笑しくて、下を向いてクスクス笑い、ぱっと顔を上げる。不思議そうにこちらを見ている彼と目を合わせて、今度は、声を立てて笑った。彼は、少しも戸惑いを見せず、一緒に笑ってくれた。こんな時、いつも、彼を愛して良かった、と感じるのだ。

 

 

<続き>

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